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種馬ジャーナル

ストリートスポーツやアングラカルチャーを中心に、体験・レポートするブログ。話がまとめられない子なので、更新頻度が悲惨

広島東洋カープが愛される"本当の理由"

2016年9月10日。広島東洋カープが四半世紀の時を超えてプロ野球セ・リーグを制したというニュースが全国を駆け巡った。
 
 
筆者は広島生まれ広島育ち平成2年生まれの26歳。
前回の優勝は、当然記憶にない。
 
野球は、小学生の頃にソフトボールをかじった程度であとはパワプロくらい。
大学進学とともに東京を離れてからは、ほとんど野球やカープと触れ合わずに過ごしてきた。
 
それでも、この優勝は泣いた。
 
緒方がいる、黒田がいる、新井がいる(最近の広島県民は贖罪意識からか「新井さん」と呼ぶらしい)。
全くと言って良いほど地元を離れてから野球を見ない僕にとってさえ、馴染みの深いスター達が画面の向こうで涙を流している。さすがにこの映像には食らった。
 
カープ女子」やらいろんなワードが飛び交い、プロ野球界における「マーケティングの成功事例」として取り上げられることも増えてきたカープ。今回の優勝のタイミングでも、様々な角度からカープ論が語られている。
 
 
◾︎BLOGOS 常見陽平 「広島東洋カープは、なぜ愛されるのか」
 
◾︎ZAKZAK 宮脇広久 「広島カープはなぜ愛される?地元テレビ局関係者が分析」
 
 
どれを読んでも確かに一理ある。
ただ、僕のような「ただ広島に生まれ育っただけ」の人間の心にここまでくる理由には、どれも不足だなあと感じたので、ここに僕の思う「広島東洋カープが愛される本当の理由」について、僕の思うことを記そうと思う。
 
 
①「カープは『広島史』そのものである」
よく語られるように、カープは原爆復興の流れで生まれた市民球団が歴史の始まりだ。
 
広島の人々は、この街に起こった悲劇と再生の歴史を、教科書上のものではなく、自分たちの街の歴史として、幼稚園・小学校の頃から当たり前に学ぶ。
 
はだしのゲン」を小学校の図書館で借り、原爆ドームへの遠足では道路を一本挟んだ広島市民球場を横目に眺め、広島という街はカープとともにあることを知る。
 
これが広島の教育であり、広島の常識なのである。
 
 
②「インプレッションが異様に多い」
上に書いたようなこともあって、広島の人々は、世代を問わずカープが重要な存在であることを知っている。
 
その結果、広島のテレビ番組では異様なほどにカープの選手が出てくる。
 
「元気丸」を始めとしたスポーツ番組、マエケンや栗原が歌い踊るハウスメーカーのCM、新井さんがいじられまくるゴルフ特番。家族団らんの夕食どきや、親戚一同が会する年末年始の場では、必ずと言っていいほど「野球をしていないカープの選手」の姿を目にすることになる。
 
そうして彼らは、「ただのスポーツ選手」から、「親戚のような親しい存在」にシフトしていく。
 
 
③「『日常』から『非日常』へのシフトに成功した」
ちょっとこれは余談に近いかもしれないが、重要なことだと思うので書いとく。
 
広島の人々にとって、カープは当たり前の存在であったが、大多数の人にとっては万年Bクラスが続いていたこともあって、「テレビで見れば十分」なものとなってしまっていた。
 
これに対し、「生で見るインセンティブ」を提供したのが、新市民球場ことマツダズームズームスタジアムや、「カープ女子」などのマーケティング施策である。
 
広島人の心に潜在的に眠っていたカープ愛は、「非日常の楽しさ」とドッキングし、観光資源は豊富でもぶっちゃけ地元民にとっての娯楽は特に存在しないこの街の退屈さへの数少ないソリューションとなった。
 
こうして、カープの試合を観戦することは、アクティビティとしての優位性を取り戻し、「カープを応援すること」の楽しさを忘れた層を呼び戻した。
 
 
 
以上3点が、僕の思う「カープが本当に愛される理由」だ。
 
 
カープが優勝した夜、広島市内で若者も老人も皆が笑顔でハイタッチして歩き回るシーンを見て、すごくカープらしいし、広島らしいなあと胸が熱くなった。
もし日本シリーズ優勝でもなったら、何日この祭りが続くことになるんだろう。
 
 
試算によると、カープの優勝による経済効果は331億円で、これは阪神や巨人が優勝した時に比べると及ばない数字だそうだ。
 
でもそんなことは関係ない。
 
カープが優勝した」。この事実だけで広島に生まれ育った何百万の人たちが、「生きてて良かった」と心の底から思えるんだから。